理事長のつぶや記~vol.13~

江戸時代のヘアースタイル

 江戸時代の男の髪型といえば、「丁髷(ちょんまげ)」です。「月代(さかやき)」と呼ばれる前頭部から頭頂部にかけての範囲の頭髪を剃り、残りの髪を結ったものをいいます。

 江戸時代は髪型で武士か町人か、その身分がわかるようになっていました。

 時代劇には月代を剃っていない浪人者が登場しますが、このヘアースタイルでは無事では済みません。江戸では、浪人者は「無宿者」として町奉行所に捕らえられて牢に収容されるか、佐渡(さど)鉱山の水替え人足(にんそく)にされたと言われています。月代を伸ばして外出することはご法度(はっと)(禁制)でした。髪結(かみゆ)い床(現代の床屋)で月代を剃らなければいけなかったのです。

 戦国時代、丁髷(ちょんまげ)を結うのは激痛を伴いました。というのは、頭頂部の髪をカミソリで剃らずに木製の毛抜きで引き抜いていました。「血流れてすさまじ」と記録されています。

 豊臣秀吉の天正期(1580年ころ)になってようやくカミソリで剃るようになりました。なぜ、血みどろになってまで頭頂部の髪を抜いていたか。兜(かぶと)をかぶったときに蒸れないようにしたためと言われています。戦闘の時には髪を洗わないのでかゆくなるということもあったそうです。

 女性も身分によって髪型や服装がきびしく規制されていました。さらに年齢やライフステージ職業によってもきまりごとがあって、好きな髪型を自由に選べたわけではなかったのです。髪型や服装を見ただけで、その人がどのような人物か分かってしまいました。だから、時代劇でも「頭巾」を被っている人物が登場しますが、身分を隠し人目を避けるためでした。嵐(あらし)寛寿郎(かんじゅうろう)の「鞍馬(くらま)天狗(てんぐ)」が被っていた「宗(そう)十郎(じゅうろう)頭巾(ずきん)」や女性が被った「お高祖(こそ)頭巾(ずきん)」が有名ですね。

 

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